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日々の雑記ノート

私のトラウマについて(1)

唐突だけど

なぜ私がPTSDや不安障害を発症するに至ったのか

振り返って整理しておきたいと思った。

もう二度と暗闇に堕ちないためにも

ここでこの病気と対峙しなくては

私の未来はない。

そして、もしも

明日何かあって私が死んでしまったら

私がDVを受けたという事実がなくなってしまう。

それはとてつもなく

悲しいことだなと思ったから。

 

今まで誰にも言えず抱えていた私の心の闇に

ここで光を当てておきたい。

(ただ個人名を出したりするのは控える)

 

 

私が育った家庭は、家族崩壊の家庭だった。

そう言っても大げさじゃないくらい「毒親」「毒家族」だった。

父は支配的だったし、母に対しても家族に対しても

暴言を吐いたり、喧嘩もあった。

私は末っ子で上の二人からは常にばかにされていたし

両親は自分たちのことで精一杯な感じがしていた。

私のことに興味がない、放任主義で育てられてきた。

対人関係の基礎を築くのに一番大事な幼少期からすでにつまづいて

私の人生はマイナスからの出発だ。ゼロからではない。

 

それから、早く家を出たいと思い

東京に出てきて、知り合った彼氏と同棲を始めた。

私は、彼がDV男だとは、その当時わからなかった。

耐えられない性暴力と身体的暴力とモラハラ

おかしいと思いつつ、逃げようにも逃げられない。

トラウマ・ボンディングに囚われて動けなかった。

 

そのうち彼は仕事のアシスタントと関係を持つようになり

その女からの嫌がらせも続いて

どんどん私と彼の関係は泥沼化していった。

 

もう20年以上も昔のことだし

暴力について、あまり覚えていない。

記憶が飛んでいるのだ。

大怪我をして、私は実家に帰った。

両親は何もしてくれなかったし、その当時

私も周りもそれが精一杯だった。

訴えようとか、裁判とかいうのは、選択肢になかった。

ただただ私は自分を守るため、完全に暴力を忘れようとした。

誰も寄せ付けないように

頑丈にあの10年間の出来事に蓋をした。

 

でも結果的に、何十年も経った今

ないものとして扱っていた怒りと悲しみが

ネコの浮気として同じような出来事となって今再び現れ

これでもかと復讐するように私の心の中で嵐のように渦巻いている。

 

 

PTSDは、かかりやすい人や

同じような経験をしても精神的ダメージが少ない人

病気を発症しない人がいるらしい。

私は、子供の頃の一番大事な時期に

親子の信頼関係を形成できなかったことが影響しているのだろう。

それから交通事故に遭っているので、それも一因だろう。

何度もトラウマになるようなことを経験すると

PTSDの発症率が上がるらしいから。

 

では、どうして

蓋をした忌まわしい出来事が蘇ってしまったのか

という話は次に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞑想のススメ

心療内科に通い始めてそろそろ半年も経とうというのに

いまだに症状がよくなったと感じられないので焦っている。

 

以前、ヨガや瞑想って聞くと

どうもスピリチュアル系な感じがして

それが苦手な私は、斜めから見ていたのだけど

そうも言っていられないくらい、切羽詰まってきた。

 

「マインドフルネス心理療法」は

PTSDや鬱に効果があると、よく本に書かれていて

気になっていた。

とにかく、不安障害は

自分自身で治りたいと強く思って行動することが

何より大事だ。

私は、心療内科に半年通って、薬も都度変えながら

でも、睡眠薬なしでは今は眠れなくなった。

それを経験しているから

もう藁にでもすがる思いだ。

 

4月から、トラウマやDVの自助グループにも参加している。

そこで経験者から

トラウマは一生消えない、と言われて

ならば

トラウマと一緒に生きていく方法を身につける、と考え

それから、自分であれこれ調べて自己治療をしている真っ最中だ。

 

どうかなあと思いながらも、瞑想を始めてみたら

思いの外効果が出てきていると思う。

しつこいわけのわからない怒りが、少し楽になった。

まだ一週間くらいだけど。

日々、日記のように、気分をチェックしている。

 

私は自分一人ではまだうまく瞑想できないので

音声などガイドがあるのがお気に入り。

 

マインドフルネス

www.nhk.or.jp

 

慈悲の瞑想

http://www.j-theravada.net/3-jihi.html

 

みなさんに幸せな毎日が訪れますように。

(慈悲の瞑想影響大)

ひとつ発見と世の中の進歩

ここしばらく遠のいていた図書館通いをまた始めている。

本は借りていたんだけど、うちに帰って読むことが多かった。

 

でも、また

うちにいることも苦しくなって

仕事も見つからないので

図書館に来ている。

 

生活保護を受ける前後、毎日図書館にいた時

同じようにホームレスの人がいた。

正直、あの鼻をつく匂いが耐えられないのだけど

なんとかホームレス支援に繋がるといいね、と内心思っていた。

 

そんなこんなで、私自身が生活保護を受給することになって

引っ越しもして仕事も短期のパートが見つかって、と

身の回りがあっという間に変わって、半年が過ぎようとしている。

 

再び、仕事のない状態になって、もうどうしようと

また考えが逡巡する毎日に戻ってしまった。

それでも、なんとか

生活のリズムは大事だと思い

ヨガを始めたりしている。

 

話が逸れたが、なんと今日図書館にあのホームレスだった人がいたのだ。

散髪し白髪を染めて、服装は清潔なものに変わっていた。

見違えるような綺麗に整えた身なり。

なんか、どこかで見た顔だなあと思っていたら

歩き方であのホームレスの人だと思い出した。

 

よかった!

支援と繋がってくれた。

世の中は、少しずつでも、進歩している。としみじみしている。

 

ぎこちない言葉のやりとりも悪くない

アドラーの心理学の本を読んで、ふと目に止まった。

これ、にゃーと私のことじゃない?

 

Q. 彼女に素直になれません。それでよく喧嘩をしてしまいます。どうしたら、素直に優しくできますか?

 

A. 優しくなれないというよりは、優しくならないでおこうと決心しているように見えます。優しくなれない理由ならいくらでも探し出せます。過去の恋愛でも自分の性格でも良いのです。

 

 しかし、それは本当の理由ではありません。優しくしないでおこうと決めているのです。優しくすれば負けることになると思っているからなのです。

 彼女の方に非があって彼女がそれについて一言も謝らないのに、彼女を許せば自分が負けになる、彼女は優しくしてくれないのにどうして自分だけが優しくしないといけないのかというようなことですが、負けてもいいではありませんか。

「ありがとう」と言いたいのに、素直になれず、喧嘩まで売ってしまいます。

 喧嘩の理由は何でもいいのです。実際、喧嘩をし始めると、売り言葉に買い言葉になってしまい、最初は何がきっかけがあったかもしれないのに、それすらわからなくなってしまいます。

 こんな二人は他の仕方では、自分たちがつながっているという感覚を持てないと思っているように見えます。

 息子が5歳だったある日、私が何かのことで妻に大きな声を出したことがありました。その時、近くにいた息子が言いました。

「そんなに怒ったら、お母さんはお父さんのことを好きになってくれると思ってるんか。好きでなかったらどうするっていうの」

 喧嘩がそこで終わったのはいうまでもありません。

 せっかく一緒にいるのですから、天気が良ければ、外に散歩に出かけましょう。付き合っていた頃は、二人でどうやって遊ぼうかということばかり考えていなかったですか。付き合う前は、どうしたら、好きなあの人に振り向いてもらえるかということばかり考えていたはずです。

 その時のことを思えば、今は夢のようです。そのことを言葉にしてみるのです。ぎこちない言葉のやりとりになりそうですが、それでいいではありませんか。

彼女と彼を入れ替えて引用しているけれど、こういう喧嘩って巷で本当に多いと思う。 

 

私とにゃーもこれで3年会えない状態が続いている。

私とにゃーは関係も複雑なので、

「素直になれない」がもう何重もこじれて

これどうしようもないってくらい。

 

でも、もともとはどうだった?

 

出会えてよかった?ずっと一緒にいたい?

自分に改めて問いただす。

 

いろいろ、ごめん。

 

DV講座を受けてきて

今日は、DVとか性被害とかトラウマに遭った人向けの

心の傷について考える講座に行ってきた。

 

少し楽になったかな。

本当に少しだけ。

同じ苦しみを生き延びたサバイバーの方からの話は

本を読むのとはまた違って

Empathyを感じることができた。

ワークショップみたいに、決して強制させることのない

まず安心を約束してくれるその空間。

 

心に残った言葉をまとめておくと。

●ランキングしない生き方をする

●いい悪いはなく、ただの違いと捉える

●同情されて嫌な感じを受けたら、かわいそうと決めるのは相手ではなく自分だと思うこと

●私は同情しない。empathy共感する。

 

同情って本当にモヤモヤする行為で、

実は言ってる本人は被害者を見下して

自分は幸せって言ってるようなものだから

見下されてるって感じるんだよね。

やはりサバイバーはみんなこんなこと言われてるんだな、と。

「そうそう!」「あるある!」って感じること多かった。

なんか話も上手くて、涙も出たけど、クスって笑いもした。

 

今までずっとトラウマと向き合えなかったから

今こそ変わるチャンスと思って

病気を克服する。

 

トラウマの治療

トラウマが乗り越えられない

辛い、涙が止まらない、苦しい

と思ってなんとかしたいとググってみたら

こんなページがありました。知らなかった。

www.nhk.or.jp

 

トラウマの治療について

https://www.trauma.jp/emdr%E3%81%A8%E3%81%AF/

日本EMDR学会

https://www.emdr.jp/

 

一番いいなと思ったのは

被害者本人の負担が少ないこと。

実際治療を受けていないので、効果とかは全然わからないけど

読むと、精神的な辛さはかなり少ないと思う。

 

トラウマの辛さは本人にしかわからないから

周りも接し方を間違えてることが多いし

余計本人に負担を強いてたり、不安を煽ったりして

追い詰めることがあると思う。

 

周囲の人が病気を理解するの難しいのはわかるんだけど

被害者を大事に思っているなら

責めること、トラウマを思い出させることは

本当にやめて欲しいと思う。

なるべくなら、裏切らないで。

もう裏切りは被害者は嫌という程経験して

疲弊して病気になったんだから。

 

被害者にとって、近しい人は

立ち直るための数少ない

もしかしたらたった一人の支えなのかもしれないんだから。

 

もう、その信頼関係をなくしたら

何も育たない、不毛な関係になるだけだし

多分その人は本当に死んでしまうかもしれないから。

 

病気によって起こるもの・表現

不安障害って言う病気は

不安をそのまま「不安です」といえばすごくわかりやすいんだけど

全ての人がそうでもないので(それが不安障害の症状でもある?)

本当は不安で仕方がないのに、そう気づかないと

人間関係が拗れたり、事態がややこしくなったりするので

不安は不安として対処するのがもっともうまくいく、と書いてありました。

 

なので、これは私の病気のために

本からメモを抜粋しておきます。

 

●他人に過干渉になる

人にやり方をいろいろ指図したり「きっとうまくいかない」と足を引っ張ったりする行為。自分のやり方以外は「未知」なので不安になる。

だからいろいろ口を出してきたり、上から目線で指図をしているのは

その裏に「不安」があることを知っておくと、人間関係もスムーズにいく。

 

●イライラする

不安で落ち着かないから、ソワソワしたりイライラしたりする。

過干渉な人もイライラする人も、自分自身の不安には気づいていないことが多く

「自分をイライラさせる相手が悪い」と思ってることが多い。

 

●攻撃的になる・暴力をふるう

上記の構造がひどくなると相手に攻撃的になる。DVの加害者は自らの不安に向き合えない、あるいは怖いから、目の前の人を制圧することで安心を得ようとする。でもそれは束の間の「安心」なので、「もっと、もっと」と事態が悪化する。

暴力は振るわないにしても、常に相手に勝ってないと不安に耐えられないため、どんな理不尽なことを言ってでも絶対に負けないと言う、やたら好戦的な「ああ言えばこう言う」タイプによく見られる傾向。(あ、心当たりが、、、)

これらの人は、一般に、自らの不安を考えて見たこともない、と言う人が多いので、本当は不安なのではないかと指摘すると怒り出すであろう。

 

●確認行為が多い

「もし○○だったらどうしよう」という不安感を打ち消すために、何度も再確認しないと落ち着かなくなる。何度も手を洗ったり、鍵を何度もかけ直したりする行為が典型的。こういった確認行為に時間を取られて日常生活が支配されるのが「強迫性障害ということになる」

 

●仕事や決断が遅い

「もっとよくできるのではないか」「もっと良い考えがあるのではないか」

という不安から仕事を仕上げたり、何かを決めたりすることができなくなる。

そのような時は、目標を小さくして、不安も細分化してあげることが役立つ。

また決断が遅い人には、「とりあえずの決断」をしてもらうようにし、「本当の決断」はあとですれば良いから、とりあえずデータ収集ために仮の方向を決めて、あとで軌道修正しよう、という風にしてあげると、決断しやすくなります。

いずれも、不安の前に立ちすくんでしまっている人のハードルを下げるやり方です。

 

●原因不明の身体症状が出る

不安を不安として感じたり表現できないと、めまい、頭痛、胸の苦しさ、痺れ、といった身体症状に現れることがある。また、感情としての不安を自覚していても身体症状が同時に現れる人もいる。

 

●身体の症状を過剰に心配する

「自分は重病にかかっているのではないか」「このままひどくなって死ぬのではないか」と心配して繰り返し医療を求めたりする。このタイプは、健康への不安は自覚していることが多いが、「身体さえよくなれば不安はなくなる」と思い込んでおり、そもそも不安が身体症状に繋がったという視点は持っていない。

 

●薬・アルコール・食・自傷行為などに依存する

不安やうつから逃れようとして物質や、行為に依存する人も多い。不安障害の併存症には、これらが多い。

第一の病気が不安障害であり、その不安障害に対する「自己治療」の試み(アルコールで不安を解消しようとした・過食をして束の間の安心を得ようとした、など)が依存症に繋がったと考えられる、続発性の依存症がひどくなって初めて治療を受けることになるという人も少なくない。

 

●ひきこもり

いろいろタイプはありますが、不安のためにひきこもっている人も少なくありません。社会に出て人と接することの不安や、仕事についてやっていくことの不安を表現できる人もいますが、そうでない人もいます。口では「人に関心がない」「別に不安はない」「自分にあう仕事がないだけ」という場合も、実際は不安に向き合うのを恐れていることがあります。

こういう人に対して、「こんなにひきこもっていたら人生取り返しがつかなくなる」と、恐れを煽るアプローチをしてしまうと、ますます不安が燃え上がってひきこもりが激しくなるということもあるので注意が必要です。

なお、以上の人たちは、理由があって様々な表現型をとっているわけですから、「本当は不安なんでしょう」と直面化させることは必ずしもプラスになりません。不安を不安として認めて表現することすら不安なのだ、という構造を理解してあげることが必要です。

本人は認められないといっても、要は不安であるわけですから、不安を煽るようなことをすると言動はもっとひどくなりますし、安心にしか解決の道はないというのは、普通の不安と同じです。

 

以上。

 

私は強迫性障害以外は全部当てはまったわけです。

見事に!

過食で(&貧困なので栄養偏向)、イライラ、怒り、にゃーに暴言、自傷行為、顔面麻痺、吐き気、頭痛、不眠の身体症状、決断できない、仕事ができないのでひきこもり。全てが悪循環。

 

でも不安障害という病気だと今ではわかっているので、治療をして治すという決意はしています。

 

引用した本はこれ↓

正しく知る不安障害 ~不安を理解し怖れを手放す~ (ぐっと身近に人がわかる) 水島 広子 https://www.amazon.co.jp/dp/4774143502/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_Rvw2AbBYA6Y24 @amazonJPさんから