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日々の雑記ノート

私が受けたセクハラ

最近いろんなことが起こり

ここらで人生の振り返りでもしておこうと思い立ち

どうしてもわだかまりとして心の重しになっていることを

書いて残しておこうと思います。

うまく書けないのはわかっているけど

とりあえず後でまとめるためにも覚書程度に。

 

私は、以前NPO法人で働いていました。

小さな組織で代表と監査役と私(雑用)の3人が中心となって運営していました。

人が続かなくて、人の入れ替わりが激しかったです。

そもそも発展させるつもりもなかったのだと思いますが

代表の機嫌一つでなんでも決まる問題の多い組織でした。

 

●BLのセックスシーンを強制的に見せられた

その日は事務所のMacの設定をするため

事前に私が行く時間等を代表に連絡しOKをもらって行きました。

事務所について、Macを開いたところ

全画面に写っていたのは、BLのセックスシーンと性器そのものでした。

私は、もともと下ネタが苦手なので

本当にびっくりしていまい、叫び声をあげ大慌てで

いつもならすぐブラウザを閉じたり

外面を変えたりできるのに、その時は驚きのあまり

しばらくあたふたとしていたことを覚えています。

心臓の動悸もひどく、頭の中が真っ白という感じでした。

とりあえず、画面の電源を落とし

気持ちを落ち着かせ、これ以上事務所にいられないと出て行こうとしたら

わざとらしく代表がニヤニヤしながら戻ってきました。

私が動揺しているのが楽しいみたいな顔をしていました。

私は代表にその画面のことを文句を言い

そうしたら代表は

「○○ちゃん(マネージャ)はBL好きだから一緒に見てたんだよ。僕じゃないよ彼女だよ」

そんないい訳あるか?と内心怒り心頭で

とにかくやめてくださいと言って帰りました。

今考えると、どうしてもっと強く言い返せなかったのかと

自分が不甲斐なく悔しくて涙が出てきます。

 

●AVのDVD

AVのDVDを目につくところに置いておき、片付けてくださいと何度頼んでも

片付けてくれなかった。

代表のいい訳

「家には持って帰れない。僕は頼んでいない。前の住人が頼んでいたみたいで、だから僕は捨てられない」

私がよく使う机の引き出しの中に入れてあった時は

流石に腹が立ち、めったに開かないクローゼットの奥の方にしまったら

次の日

またテーブルの上に出してありました。

 

代表は下ネタ好きを売りにしており

それを喜ぶ取り巻きの女がいて

クズだなと思いました。

 

●飲み会の下ネタ

男女複数人で飲み会をしたときのこと。

代表の高校生の時の性体験を生々しく喋る。

彼女が好きものですぐ誘ってくるから放課後神社でやった。

女性のオナニーや性器についても言及。何を言ったかは書けない。

今、文字に書いただけでも、フラッシュバックが起こって震える。

 

 

こういうことを小さいことで済ますのは

本当に良くない流れだと思うし

誰の目にも止まらないだろうけど、書いておきます。

パワハラはまた別に書きます。

 

2021年11月16日 追記編集しました

ダラダラ日記

最近ちょっと思うことがあり

ブログやSNSを整理したいなと考えている。

 

結局ブログは続かないし

ほかのSNSもなんだかな〜というやる気の無さ。

アカウントをひとつにまとめて発信しようかな

とか

いっそのことインスタ一本でまとめようかな

とか

 

でもツイッターの情報量はやっぱり魅力があって

インスタの観賞用とは違うんだよな、、、とか

 

結局、こうやって書いていても

思考の整理にはならないで

迷いは深まるばかりであった(あかーん

 

 

この1週間のあれこれ

胸の動悸がひどいので

ようやく循環器内科を受診してきた。

結果は、今すぐ薬が必要ではないけれど

ダイエットはしましょう!と。

そうすれば、中性脂肪値は下がるし

血圧も下がる

そうすれば、心臓の負担も減る。

ダイエットさまさまだね!!!!

 

以前、心療内科ホルター心電図の検査をした時は

1ヶ月も待たされたのに、その結果は「異常なし」の一言だけ。

不親切〜〜〜〜〜〜

 

今回は受診して次の日ホルター検査

2日後に心エコー、初診から

四日で全部済んだ。なんなんだ!この違いは!!!!

私の不整脈心室性期外収縮というもので

血圧が高めだったし先生も心配したんだけど

経過観察しましょう、となったのであった。

 

これで本気でダイエットに取り組もう

ほんとか?

でもドキドキは嫌なので。体大事にしよう。

 

それからもう一つ

PTSDの治療が終わりました。

心理検査の数値もほぼ標準範囲に落ち着いて

ようやく卒業できました。

持続エクスポージャーは、とても辛い治療で

誰にでも勧められるものではないけど

自力で向き合ったという事実は

今後、トラウマと対峙する時に

錨のように確かな自信を私に与えてくれるように思う。

 

ネコとの問題は、現実エクスポージャーという認知行動療法

やっているのだけど

まだ終わってない。これから私が一人で

戦うのだ。

カウンセラーのかたが産休に入るので

とりあえず、トラウマが終わったから

卒業とした。来週もう1回行ったらおしまい。

なんだか、心細いことは確かだ。

でもいずれは独り立ちしていくのだから。

 

お疲れ様、私。

うん、頑張ろう。

今年がんばったこと

先日のブログの続きになるけど

今年は結構がんばったなわたし

という出来事が多かった。

 

まず、1月。

ツイッターでフォローしてもらっていたアーティストの方の

個展をお手伝いすることができた。

ひきこもりをテーマに作品を作られていて

私はなぜかとても惹かれた。

見えない心の苦しみや悲しみを、可視化してくれているように感じたから。

私の場合、苦しみは頑丈な壁でできた箱に

入っていて

その自分の壁を壊すために

手伝いたいと咄嗟に思ったのだと思う。

今までの引っ込み思案な私から

一歩踏み出すことができたのは貴重な経験。

壁を壊すことはできなかったけど

ヒビくらい入れられたはず。

 

そして、そのヒビが入った壁をさらに壊していくことになる。

 

4月

心療内科のクリニックを変えた。

以前から興味のあったマインドフルネス。

保険でショートケアに通えるというのもいい。

 

前は不安障害という診断だったのだけど

いろいろ心理検査をしてもらった結果

複雑性PTSDという診断になり

今も持続エクスポージャー治療中。

 

 

DVの自助グループに行っても心を開けず

誰にも苦しいと言えず

今まで自分でもどうしてこんなに

気分が不安定になるのかわからなかった。

自分が壊れていく、気が狂ってしまうのではないかという

恐怖、不安は

PTSDの症状だったのだ。

それがわかって、先生に認めてもらえて

生きづらさや、しんどさの根っこが

わかって本当によかったと思う。

自分の傷と向き合えるから。

今までは、それができずにただただ苦しいだけだった。

だから、今のクリニックに出会えたことはとてもラッキーだった。

 

誰にも話せなかった

苦しい、なかったことにしていたDVを整理できたことは、

背負ってきた重い荷物を下ろせたような

心の鎖が外されたような、うまい言葉が見つからないけど

そんな感じだ。

 

でも、そんな中で迎えた今年の12月は

去年より苦しかった。

昔に戻ったんじゃないかと思うくらい

涙も気分も低空飛行の最悪の毎日だった。

先生に相談したら、一直線によくなるものではないし

行ったり戻ったりを繰り返すのは普通、とおっしゃってくれて

ホッとした。

停滞しているように感じていても

螺旋階段を一歩一歩上がるように少しずつ登っているから大丈夫、と

 

過去の傷と向き合い、整理をしたら

今度は現実の問題と向き合わなければならない。

 

そう

にゃーりんとのことだ。

来年は会いに行こうと思う。

今年がんばったこと

先日のブログの続きになるけど

今年は結構がんばったなわたし

という出来事が多かった。

 

まず、1月。

ツイッターでフォローしてもらっていたアーティストの方の

個展をお手伝いすることができた。

ひきこもりをテーマに作品を作られていて

私はなぜかとても惹かれた。

見えない心の苦しみや悲しみを、可視化してくれているように感じたから。

私の場合、苦しみは頑丈な壁でできた箱に

入っていて

その自分の壁を壊すために

手伝いたいと咄嗟に思ったのだと思う。

今までの引っ込み思案な私から

一歩踏み出すことができたのは貴重な経験。

壁を壊すことはできなかったけど

ヒビくらい入れられたはず。

 

そして、そのヒビが入った壁をさらに壊していくことになる。

 

4月

心療内科のクリニックを変えた。

以前から興味のあったマインドフルネス。

保険でショートケアに通えるというのもいい。

 

前は不安障害という診断だったのだけど

いろいろ心理検査をしてもらった結果

複雑性PTSDという診断になり

今も持続エクスポージャー治療中。

 

 

DVの自助グループに行っても心を開けず

誰にも苦しいと言えず

今まで自分でもどうしてこんなに

気分が不安定になるのかわからなかった。

自分が壊れていく、気が狂ってしまうのではないかという

恐怖、不安は

PTSDの症状だったのだ。

それがわかって、先生に認めてもらえて

生きづらさや、しんどさの根っこが

わかって本当によかったと思う。

自分の傷と向き合えるから。

今までは、それができずにただただ苦しいだけだった。

だから、今のクリニックに出会えたことはとてもラッキーだった。

 

誰にも話せなかった

苦しい、なかったことにしていたDVを整理できたことは、

背負ってきた重い荷物を下ろせたような

心の鎖が外されたような、うまい言葉が見つからないけど

そんな感じだ。

 

でも、そんな中で迎えた今年の12月は

去年より苦しかった。

昔に戻ったんじゃないかと思うくらい

涙も気分も低空飛行の最悪の毎日だった。

先生に相談したら、一直線によくなるものではないし

行ったり戻ったりを繰り返すのは普通、とおっしゃってくれて

ホッとした。

停滞しているように感じていても

螺旋階段を一歩一歩上がるように少しずつ登っているから大丈夫、と

 

過去の傷と向き合い、整理をしたら

今度は現実の問題と向き合わなければならない。

 

そう

にゃーりんとのことだ。

来年は会いに行こうと思う。

あれから2年経ちました

生活保護の受給が始まって2年が経ちました。

 

落ち着いたかと思いきや、今の状態は

まるで2年前に戻ったかのよう

気持ちは上下乱行

涙は止まらない、毎日朝から涙が出る

息苦しくて

心臓バクバクでパニック症状に襲われている。

 

こういうのアニバーサリー反応というらしいです。

事件や災害や事故にあった時期になると

ふとしたことで思い出し

不安になったり、不眠になったり

ドキドキする症状が出てくる反応。

 

去年はここまで酷くはなかったように思う。

ホルター心電図受けたのは年末だったから

やはりザワザワしていたことは確かなんだけど

 

多分今年は

全ての更新時期が重なっていたのが大きい。

まさか、2年もこんな状態でいるなんて思いもしなかった。

にゃーとの関係は、間違いなく進んでいると思っていたし

当然生活保護も抜けて

引っ越ししていると信じていた、、、、

が、この始末。

 

幸い、去年と大きく違うのは

相談できるカウンセラーや先生がいること。

診察室で大泣きして、

不安でたまらないこと

先に進めていない状況に焦りを感じることなど

気持ちを吐露することができるのは

すごくありがたい

マインドフルネスで

他の人と一緒にいる時間が作れることも

安心材料の一つ。

 

カウンセラーの先生からは

この時期は

自分の好きなことをして

今は頑張らないこと、と教えてもらった。

一日一日やり過ごす。

12月ももう半分以上過ぎてる、もう少し。

 

にゃーが私がどういう状態なのか

理解してくれるとすごく嬉しいけど

うまくいかない。

 

 

 

 

一先ずの区切り

4月から始めた認知行動療法

10回という回数制限があるので

今日で一先ず終了した。

 

6月に結構できるかなという山場があったのだけど

ちょっと躓いてしまってそこから失速。

 

本当はもっと奥深いところで

問題があるのかもしれない。

 

どうやったらそれを超えることができるのか

わからない。