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日々の雑記ノート

2022年初めてしたこと

今年初めてのブログ。

今日は、生まれて初めて経験した護摩祈願のことを書いておこうと思う。

 

去年大病が見つかり

流石に心細くなり神様仏様にすがりたくなった。

すぐに、病気に御利益のありそうな神社にお参りし

お守りを買ってきたけど

本当にこれだけでいいのだろうか?と

不安は消えなかった。

 

もうどん底は嫌だ、ここから抜け出したい

一体いつになったら、私に平穏な日々

昔夢見たやすらぎの日々が送れるのだろう?

どうやったらここから抜けられるの?

私の何がいけないの?と

良くない思考がぐるぐる頭の中をめぐりに巡る。

だから

今自分ができることを、手当たり次第に

やり始めた去年の後半。

年が明け、信頼している石井ゆかりさんの週報を読むと

”「新規なもの、未知の世界」に動いていった方が、結果的に着実な前進ができるようなのです。”

という星読みの言葉に「ピピーン」と、心は動いてしまったのです。

 

もうこうなったら祈祷じゃ!祈祷じゃ!

と、いきなり護摩焚きに行ってしまう思考回路に

うん?と自分でも思うのだけど、善は急げで行動。

 

寺社の受付で申し込みを済ませて

(今回は「心願成就と病気平癒」の二つ。)

お寺の中に入って待つ。

あ、お葬式の時とおんなじだ!

と方向違いな感想を持ちながら

隙間風がピューピュー入ってくる本堂の

観音様や曼荼羅などの装飾を見ながら

これから始まる護摩に想いを馳せワクワクしていた。

 

時間になり

お坊さんたちが鐘(もしくは銅鑼?)を鳴らしながら

入ってくる。最初は割と静かめにお経を読み始めた。

だんだんとお経にも熱が入ってきて

声も大きくなり、今度は和太鼓が加わり

かなり音も大きいし、体にビンビン響いてくる。

しばらくして

ようやく木がくべられ

炎がメラメラと上がってくる頃には

お経の声、太鼓の音も相俟って

祈祷ってやはり一種トランス状態なのだと感じた。

 

お経はわからないので

どういうわけか

私は心の中で慈悲の瞑想を唱えていた。

自分の願い事と、生きとし生ける全てのものへの慈悲の瞑想。

(マインドフルネスやっててよかったな、と思ったw)

白い紙がわしゃわしゃ付いている棒をみんな並んでいるところで

振ってもらい

そして順番に

炎が轟々と燃えているところに行って個別に祈りを捧げて

最後は一人ずつお坊さんから

背中に向かってお経を唱えてもらい

金の輪っかが付いている棒みたいなのでお祓いをしてもらって

最後にお坊さんから

「もう大丈夫ですよ」

と声をかけてもらいおしまい。

 

なんだかすごく

心が軽くなったような、憑き物が落ちたような

そんなすっきりとした気持ちで

これからの一年を頑張っていこうと思えた

体験でした。(クセになりそう

 

私は、部屋にお札を飾る場所がないので

お札は持ち帰らず寺社に預けて半年後に

お焚き上げしてもらうコースにしてもらった。

でも無事治療が終わったら

お礼参りにいこうと思う。